私が生まれた時に建てられた実家はまもなく築50年になる。
ここ数年忙しく、なかなかゆっくりと実家に帰省することもなかった。
両親は病を煩わせており、孫の顔をゆっくりと見せてあげ、少しでも楽しい時間を過ごさせられたらと思う今日この頃。
ぼぉ~っと天井を眺めては、故郷のことや、両親のこと、親しかった友人のことを思い出す。
私がまだ実家にいた若い頃、
よく眺めていた天井に木の節がある。
今と同じようになんか物思いにふけるとそうする癖が小さい頃からあった。
枝葉末節
ということばがある。
私は最近このことばがやけに頭に浮かぶ。
人はみなちがって当たり前
枝葉は自分らしさの表現だし、
節は自分らしく生きた証なのだから本当は大切なもののはずだが。
子供たちをみていると、
ひとりひとり、
この子のいい所はここだとか、
ここはもう少し頑張らせようとか、
欠点があっても周りが見守れば普通に思えるようになるとか思う。
要は、木は人そのものなのだ
節が多いほど魅力的な人になるのだと私は思う。
だから、天井の節をついつい見ちゃうのかな?
無理して、節のない、製材のような人になることはない。